最近よく「嘘っぱち」という言葉を耳にします。
若い人はあまり「嘘っぱち」という言葉を使いませんが、
70~80代の方が「嘘っぱちだ!」と言っているのを耳にします。
その「嘘っぱち」とは何かと問えば、「人間が浅くなった」と
おっしゃる方がいます。
忙しくて、深く考える暇がなく、深く学ぶ暇もなく、
浅く考えて切り抜ける。。
こんなことを繰り返すうちに、私たちの存在、私たちの行動は
70~80代の方から見たら「嘘っぱち」に見えるように
なってしまったのかもしれません。
人と関わることが少なく、自分の経験と想像とインターネットの情報
だけを頼りにしている人たちを見ると、それはやはりどこか
「嘘くさい」のかもしれません。
視野が狭くなっているので、未来のこと、普遍的なこと、人生のことに
目を向ける余裕もなく、目の前のことをただこなしている…。
こういった、やっつけ仕事ばかりだからやっぱり「嘘っぱち」に見える
のでしょうか。
そんな「忙しさ」「人と関わることの少なさ」「視野の狭さ」などは
現代人の心の病の根源にもなっています。
人は自分を見つめることもできず、自分を知ることもなく、
機械のように機能を測られ、比べられて一生を終えます。
人が機械のような性能の良さを求められたら、それはすでに
「嘘っぱち」ではないでしょうか。
簡単に回避できない、そんな「忙しさ」「人と関わることの少なさ」
「視野の狭さ」の中で強く生きていくには、どんなことに気をつけたら
よいのでしょうか?
そして、同じように過酷な状況でも大丈夫な人とダメな人との違いとは
何なのでしょうか?
(次号に続く・・・)