私は趣味でテニスをしています。
テニスは、メンタルのスポーツと言われています。
うまくいかないと「メンタルが原因だ」と考えることがよくあります。
試合の解説でもメンタルの話はよく出てきますし、
感情をあらわにして、ラケットをへし折る選手もいるぐらいです。
しかし、私は、メンタルが原因だと考えることはあまり好きではありません。
理由は大きく2つあります。
一つは、メンタルが原因だと考えた途端、
とても難しい問題のように感じやすいからです。
二つ目は、原因がメンタルにあるなら、そのメンタル自体を
どうにかしようと考えやすいからです。
例えば、「ネガティブは良くない!もっとポジティブに!」
と言い聞かせようとするとします。
そもそもそんなことで効くなら、メンタルの問題はクリアしてますよね笑
100歩譲って、効いたとしても、ずっと言い聞かせ続けることは難しく、
次第に疲弊してきて、長続きしないことが多いように思います。
メンタルは難しい、コントロールし難いと感じているにも関わらず、
メンタルが原因だと考え、そのメンタルをどうにかしようする。
それは、とても難易度が高いことです。
逆に言えば、メンタルは難しい、コントロールし難いものだからこそ、
メンタルが原因なんじゃないか?と感じやすいのかもしれません。
そこで、メンタルを原因とするのではなく、
「やり方や行動が良くないのでは?」と考えてみるのはどうでしょうか。
スポーツ選手は、円陣を組んだり、気合が入るポーズをしたり、深呼吸をしたり、
やり方や行動を工夫することで、メンタルを鼓舞したり、落ち着かせたりします。
やり方や行動を工夫することでメンタルを変えることができるんです。
とはいえ、人には心(感情)があり、それを無視することはできません。
では、どう考えるとよいでしょうか。
私は、心は、ただそこに在るもの、自然に在るものという感覚です。
したがって、それが問題だということはなく、それが悪ということでもなく
どうこうするものでもありません。
自分の嫌な部分を認めることで、吹っ切ることができたという話があります。
それは、言い聞かせたり、コントロールしようしたりはせず、
ただただ、その心、その感情の存在を認めたということではないでしょうか。
海外では、心と向き合い、心を整えるための心理カウンセリングが一般的であったり、
宗教を通じて自分の心と向き合うことをします。
しかし、日本はどちらの文化もほとんどなく、
自分の心と向き合うという習慣は少ないように思います。
たまには、自分の心と向き合い、その存在を認めてあげる、
そんな時間があってもいいのかもしれませんね。
※やり方や行動を工夫する方法は、過去のコラムでも取り上げていますので、
よろしければ読み返してみてください。