物事には、因果関係があります。
手に持っているボールを放せば、ボールは落下します。
思考にも因果関係があります。
仕事でミスをして、「自分はなんてダメな人間なんだ。」と
感じることがあるでしょう。
ボールが落下する因果関係はわかります。
でも、仕事でミスをすることと、自分がダメな人間ということに
因果関係はあるでしょうか?
確かに、何かがよくなくて、ミスが起こりました。
準備不足だったのか、行動なのか、やり方なのか、
ミスしやすい状況だったのか。
いずれにせよ、ミス=“私はダメな人間”ではないはずです。
ではなぜ、このような誤った思考が、起こってしまうのでしょうか。
その要因の一つは、能力で人を見る、
という考え方にあると思います。
我々は、子供の頃から様々な能力を求められてきました。
幼い頃は、友達と仲良くする能力を求められ、
学生になると、勉強や運動能力を求められ、
社会人では、仕事の能力を求められ、
常に何かしらの能力を求められます。
3年B組金八先生というドラマに
「腐ったミカンの方程式」という話があります。
能力で人を見る教師は、
勉強ができ、協調性があり、問題を起こさない、そんな生徒を認め、
そして、不良生徒は、腐ったミカンだとして、排除しようとします。
しかし、金八先生は、そんな不良生徒でも真正面からぶつかります。
それは、能力で人を見るのではなく、
人という存在そのものを見ているからでしょう。
能力で人を見る環境では、
能力がなければ落ちこぼれ、能力があれば認められる。
しかし、人を見た上で、能力を見る環境では、
能力はあくまで、その人の一部分でしかありません。
能力の有無で、自分という存在は脅かされません。
だから、自分という芯ができるのです。
そして、その結果、能力は伸び、発揮しやすくなるものです。
弱小野球部が優勝する話、赤字続きの会社がV字回復する話、
そんなストーリーには、能力のつながりではなく、
人とのつながりがあるように思います。
もちろん、能力を評価することも必要です。
しかしそれは、能力で人自体を評価することとは違います。
我々は、いつのまにか能力で人を見てしまう癖がついていると思います。
「私はダメな人間だ」「あいつはダメな奴だ」と思ったら、
能力だけで人を見ていないか?と疑ってみてください。