同じと違い

前回に引き続き、養老孟司さんの話から引用します。

養老孟司さんは、人には、人にしかできない
特殊な能力があると言っています。

それは、“同じ”にすることです。
他の動物は、同じにすることはできません。

例えば、猫に近づくと、たいていは逃げられます。
でも、主人が近づけば、すり寄ってきます。
それは、猫が、主人と他の人は、
“違う”存在だと認識しているからです。

しかし、人はAさんもBさんも同じ人間だと括ることができます。
同じ人間だから、そう変なことはしないだろうと思うので、
前から人が歩いてきても、猫のように逃げたりはしません。

養老孟司さん曰く、同じとは概念で、違うとは感覚なのだそうです。

人は、同じという概念と、違うという感覚の中で生きていて、
人以外の動物は、違うという感覚の中で生きているわけです。

そして、同じにすることを可能にしているのは、言葉です。
黒い猫も茶色の猫も、同じ「猫」という言葉で括れることができます。

同じにするという能力は、人の優れた能力ですが、
弊害もあるようです。

例えば、自分には個性がない、という悩みがあります。
もし、違うという感覚の世界で生きているのであれば、
私とあなたはそもそも違う存在なので、
個性で悩むということにはなりません。

同じという概念の世界で生きているからこそ、
個性という悩みが生まれるわけです。

養老孟司さんは、世界に一つだけの花という歌を学生が歌った時、
こんなことを言ったそうです。

「世界に一つだけの花、そんなの当たり前じゃないか。
世界に二つある花があるなら、俺のところに持ってきてみろ。」

この歌は、人はそれぞれ違う、ということを歌っていますが、
そもそも、人はそれぞれ違うと認識している人にとっては、
「そんなこと当たり前じゃないか」と思います。

当たり前じゃないかと思わず、違和感なく受け入れてしまった人は、
もしかすると、同じという概念の世界に浸かり過ぎているのかもしれません。
かくいう私も、特に違和感はありませんでしたが。笑

また、こんな同じの括り方もあると思います。
例えば、Eさんが、落ち込んでいたとして、
「昨日は、あんな元気だったのに…。」と思ったりしませんか?

「昨日は、あんな元気だったのに…。」という言葉は、
昨日のEさんと今日のEさんは、同じだろうという
考えから生まれています。

いろいろ考えてみると、我々は様々なことを
無意識のうちに、同じと括り過ぎているのかもしれません。

「なぜ人と同じようにできないのだろうか。」
「個性を待ちなさい。人と違うことをしなさい。」
真逆のことを言っていますが、どちらも
同じという概念の世界での言葉です。

では、違うとは感覚の世界からはどのように見えるのでしょうか?

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